マーラーとシュトラウスの往復書簡集やシュトラウスの日記にも、マーラーの8番についての評価はなかったと記憶してる。
ただ、この8番が作曲された1907年という年がマーラーにとって尋常ならざる年であったのに比して、あの異常とも思える祝祭的な曲想との乖離の意味するところはなんであったのか。