>>47
もちろん理屈からすれば「要は曲想」であり、それが「かなりいいところをいっている」
と思うかどうかは人それぞれでしかない。ま、 中には「台無し」と思う人もいるわけだ。
その論法で突き詰めると、結局「俺は好き」「俺は嫌い」としか言えなくなるわけだが。

僕が感じているのは、ヴァイオリン演奏として巧拙という観点ではなく、シベリウスの
音楽の表現というところからするとちょっと違うんじゃないの? ということで、つまり
あれを良しとする人ってシベリウスの音楽なんてあまり好きでもないんじゃないか?
と思うわけですよ。そういう人が、たとえば交響曲なら誰の何番の演奏が好きなのか、
ちょっと想像もつかない、みたいな感じ。バンスタの2番とか???

つまり、サラ・チャンはヴィヴラートそのものがダメなんじゃなくて、「ところかまわず」で
あることが問題なのよ。シベリウスの内省的な音楽には相応しくないと感じるってこと。
で、それが理解できないなら「知性がない」ってことになるわけ。まさか「情感的」である
こと=反知性的だなんて思ってないよ。

まあ、自分にとってはミドリやレーピンと同様に、サラ・チャンも曲がなんであれ自分の
個性に染めて聴かせるタイプ(バッハやベートーヴェンの似合わないタイプ!)であって、
技巧的、情緒的な小品集の方が良いと思うし、協奏曲のライヴは何はともあれエキサイ
ティングだろうからコンサート・ゴーアーには好まれるのかもしれないけど、そういうので
は満足しない人もいる、ってことかなあ。

>>51、>>52
そう? ちなみにそういうアナタのオススメは? 僕はとても良い演奏だと思うけどなあ。
手持ちのシベコンは多分15枚くらいだけど、その中でもベスト3に入る。ハイフェッツ、
ヌヴー、カヴァコス、ハーン・・・ あっ、4つだ、ベスト4ねw