サラ・チャンを褒めると必ず即座に反対意見が書き込まれるのが面白い。
そういう意味でもハーンのいい意味での「対極」として彼女は
考えられるかも。しかし、よく聴くと共通点もあると思う。

>>42 微妙な話になるんだけど。
 「速度」というのは絶対的速度というのがないから、
 作曲家がどういう意図でそういう表示をしたか、ということはよく
わからないんだ。それが時間藝術の面白いところ。
「やたらと速く弾いて作曲者の意図を台無しにする愚」
なんて断定は簡単にはできない。要は曲想であり
サラの演奏はかなりいいところをいっていると俺は思う。

「かまわずあふれ出る醜女の深情けみたいな」
こういう表現はかなり直情的嫌悪があらわれていてすきだけど。
サラ・チャンを評価している者からすれば、ヴィブラートの表現
もすごく大事な要素だと思う。一時期、ヴィブラートであれテンポ
ルパートであれ、不確定な要素は音楽から排除される(最低限に抑えられる)
傾向があった。
しかし、それが原因で昔の演奏と比較して演奏が非個性的なものが
多くなった。サラ・チャンでさえ、俺はまだ「大人しすぎる」とまで感じる。

「情感的=反知性的」とは俺は考えない。ヴァイオリンという楽器でどれ
だけの表現の幅が示せるか、これがポイントになると思う。
あの程度で下品だと感じるようでは、音楽がつまらなくなる。