>>235
>まさか一日一枚日本の高いCDを買ってお金を浪費してる訳でもあるまい。
中古品も視野にいれて漁れば、大した職業につかなくても一日、二日で
一枚の出費はどうということはない。コアな人は実際そのくらいの勢いで買い、
そして売る。しかも今はネットも進化し、別に音源を買わなくても聞けるだ
ろう。友人関係もフルに使えばいい。

「一日50枚」に粘着されるのは聞くほうが愚かというよりも私のミスか。
すまん。もちろん現実には無理だ。比喩だと理解していただければ幸いだ。
>>245
確かにロックを馬鹿にしているが、それはクラシックとの対比で見た場合そうだという
ことだ。
なぜか?それはアコースティックな楽器の生音を潰しあい、実際に聞こえてくる音の
飽和状態が常だからだ。電子楽器でアコースティックな音を再現する場合は尚更。
使用する旋律、その和声は恐ろしいほど消費主義に迎合的で、クラシックでは嫌という
ほど使い古されているようなものばかり。中にはそれだけで卒倒してしまうような至上
の、そして最高級に贅沢な譜面をもってして強烈なビートを加える、加工する。
生の素材で勝負することを避けたのか、元々そのよさに気づいていないのか、いづれにせよ
存在そのものが出来合いだらけのちゃんぽん世界なのだ。刺激的でありながら刹那的な変化を
楽しむ音の世界とでもいえよう。

対し、ドラムサウンドを必要としないクラシック。スクリャービンのソナタ1番はどうだろう。
なんとも心に染み入るピアノ低音の生音だ。単調なビートに3度、5度、7度の旋律と音響操作で遊ぶ
ポップの世界を「大人気ない」と一蹴するのは決して偏った見方ではなく、自然帰結だ。無理
に虚勢をはらず、堂々とクラシックは音に対する根源的な喜びであると言えばいい。
クラシックのよさを知ってからロックやポップを省みると、まさに浪費社会の象徴に思える。
すき焼きの中にカレーラーメンをまぜて、それを高級寿司の上にタレとして使っている
ような音楽群だ。
素材一つ一つに光をあてるのがクラシック。そういう逆算的な意味で、クラシックからみる
とロックは「ロクでもない」と表現するのは妥当性を持つ。クラシックを好む=一種の坊主なのだ。