ラトルは最高の批評家。フルヴェンは最高の語り部
素晴らしい評論に感心することはできても、それに感動することはない。
テクストを批評する安定的な立場を維持しているという意味で
ラトルはブーレーズに連なる20世紀的な指揮者の極北という事もできるが
新しい未来を予告する斬新な何かを感じさせる程の指揮者でないといえる
ラトルの細部をつつくやり方には彼自身の快楽=無意識があまり感じられない
そこが決定的に古い。だが今更昔には戻れないということもある

そういう意味でに大野和士がウィーン放響を指揮したマラ5には
ラトル並の演奏史を踏まえた解釈と前者には無い
語りえぬ何かを感じさせる部分があり、そこに新しい指揮の形を感じた。
つーか纏まらねー