モーツァルトの場合、オペラなんかを聴いていると、立派な人間だけじゃなくて
ずるくてどうしようもない人間もちゃんと描かれている。つまり、特定の理念が
先にあって、その理念を証明するような音楽にはなっていないんだと思う。
そうではなくて、人間のあるがままの姿が、人間の弱さや至らなさをふくめて描き出されて
いるんだと思う。

宗教曲にしても、モーツァルトのミサ曲なんかは明るすぎて宗教心に欠けるなんて
言われることもあるけど、ちょっと違うと思う。
ローマカトリックの成立以来、「神」はずいぶん姿を変えてしまったんじゃないかな。
すごく威厳があって神々しいものになっちゃった。
でも、イエスは自分を殺しに来るものでさえも愛せよと言っている。つまり、無制限で
無限の愛。自分のことを讃えよなんて言っていない。

モーツァルトの宗教曲はその「心」にもっとも忠実なんじゃないかな。だから神を
重々しく讃えるよりも、実際にそこに生きている現実の人間に目を向けて、その心を癒して
あげる音楽を書いたんじゃないかな。

こういうことはモーツァルトの器楽曲にもそのまま当てはまるような気がする。
だから特定の価値観を押しつけてきたり、こうじゃないといけないなんて言ったり、
人間を強引に自分の曲に引きつけようなんて性質がないんじゃないかな。

最初は物足りなく感じたりするけど、ある時そのあたりのことにハッと気づいてしまうと、
その普遍性というか優しさというか心のひだに染みこんでくる人工的ではない美しさから
離れられなくなってしまう。そんな感じかな、モーツァルトって。

ピアノ協奏曲のことから離れて長々と個人的な思いを言っちゃってゴメンね。