>>319-320 ← こいつの言ってることは、現在の日本の音楽界の病理を示していて面白い。

日本人演奏家による演奏会にくる客なんて、本質的には客ではないだろ。
どっちかっつうと、お稽古事で音楽をやっている連中が多いんじゃないかな。
彼らは、お稽古事の延長線で音楽に触れているのであって、芸術性についての理解力はゼロだ。
要するに、自分よりも技術的に上手い、というだけで感動できる、きわめて安上がりな耳をもった連中だ。
こいつらが相手であれば、音程がどうの、とかリズムがどうの、とさえいっていれば、そりゃ通用するだろうよ。

音楽屋が、こんな連中をあつめて演奏したところで、とてもコンサートプロの活動といえるものではない。
いうなれば、レッスンプロの延長線の活動にすぎない。
集まってくる客は、「聴衆」というよりも、いうなれば「生徒」みたいなもんだ。
コンサートプロってのは、100%自分の腕ひとつで稼いでいる人間のことであり、
そういう意味では、日本人演奏家のほとんどは、厳密に言えばコンサートプロではない。

そして、日本の音楽界の構図というものは、
このようなコンサートプロとしてはまったく通用しない勘違いの音楽屋、
お稽古事でしか音楽を理解していない客、
そしてこれらを持ち上げるクソ評論家、
の三者が、アホのトライアングルを形づくっている、という図式になる。
>>319-320 ← こいつも、そのトライアングルの一角をしめているアホの仲間。

これが度をすぎると、もはや、音楽活動というよりも、集団オナニーってやつになる。

新国でも、変な日本人演奏家が登場すると、ファンクラブのアホ観客がやってきて、やんやの喝采だ。
下品な集団オナニーの場と化す。 そして、この集団オナニー活動をクソ評論家が持ち上げる。

ノヴォ氏の一番の功績は、新国から、集団オナニーを排除したことだ。 これは実に大きな功績だ。
個々の公演がどうのこうのよりも、どっちかっつうと、こちらのほうが高く評価できるな。