恥をしのんで書くのですが、先人たちのもふくめて、学習(修行)のために書いた
習作としてのフーガと、藝術のために書かれたフーガとの区別がつく人というのが
このスレのなかにはいらっしゃるようなのですが、私には違いがあまりよくわかり
ません。たとえばバッハについても、初期の頃のものと円熟した頃のものとでは
異なる、という文章はよく目にするのですが、具体的にどう異なるのでしょう。

たとえばバッハ風にフーガを書いた現代の学習者の実施を、バッハのフーガ群に
紛れ込ませておかれたら、私はころっとだまされるでしょう。