http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20050611k0000e040072000c.html
大阪のピアノマン:あいりんで路上演奏 音楽家として再起
 大阪市西成区の日雇い労働者の街・あいりん地区(釜ケ崎)で、阪神大震災がきっかけに
路上生活を送っていた合田(ごうだ)清さん(54)=同市天王寺区=が、路上で始めたバッハの演奏から広がった出会いを糧に、
約6年間のホームレス生活に終止符を打った。「あいりんのピアノマン」は、14日のコンサートから、音楽家として再起を目指す。
 「素晴らしい音。いつまでも路上生活を続けていてはダメよ」。5月下旬、あいりん地区近くの遊園地「フェスティバルゲート」で演奏していた合田さんに、
名前も知らないファンの女性が声を掛けた。女性は資金援助を申し出て、合田さんはアパートを借り、路上生活から脱却した。
 6歳でピアノを始め、音大進学を目指したこともあった。関西学院大卒業後は神戸市内でピアノ教室を経営、演奏活動もしていた。
ところが、95年の阪神大震災で教室が半壊。大阪府内に2度移転した教室には生徒が集まらず、約5年前に多額の負債を抱えて破産した。
さらに49歳で初めて就職した楽器店も4カ月で解雇された。妻と離婚、友人にも見放され99年秋、釜ケ崎に流れ着いた。
 路上や公園で段ボールを敷いて寝る生活。寒さで歯がカチカチ震えた。賛美歌の伴奏で教会に住み込んだり、親しい女性の家に身を寄せたこともある。
「人生のどん底だった」。だが、音楽が力を与えた。
 昨年秋、教会のキーボードを借りてあいりん地区の通称「三角公園」でバッハの演奏を始めた。
純粋に音楽を受け入れてくれる労働者の姿に、逆に胸を打たれた。「バッハには崇高さを感じる。もっと弾きたい」と、意欲がわいてきた。
 今年1月、偶然通りかかったフェスティバルゲート内のスタジオカフェ「COCOROOM」でピアノを弾かせてもらうと、店主がイベント出演を依頼。
その後数回の出演で手応えを感じ、コンサート活動に踏み切った。合田さんは「昔はちょっと才能があると思っていい気になっていた。
今は名誉欲も物欲も薄れ、手にはピアノを弾く力だけが残った。あるがままの心からあふれ出る音楽に何かを感じてくれれば」と話す。