>>329

んで、結論としては、クラシック評論家とか名乗る人って、
交響曲好き、オーケストラアレンジフェチでしかないんだよね。
例えば、オレはマラ2、マラ3、マラ8が好きで、
つまり合唱ものが好き、というか全編オーケストラだと飽きるんだよね。

んで、本屋に並んでるクラシックの雑誌や評論などを見ると、
それはそれは、見事なぐらいにマラ8の評論がはしょられてるんだよ。
作曲者別のお薦めCDんていう、よくある評論で、
マラ1ならこのCD、マラ2ならこれ、マラ3ならこれかこれ、
そして順番にマラ4、マラ5、マラ6、マラ7ときて、
なぜかマラ8とばして、マラ9、大地の歌とくる。
なんじゃそれー!

たまに、マラ8や大地の歌の詳しい評論を目にすることもあるが、
ほとんどが、「○○の指揮は熟成されたワインのごとくアーダウーダ」
「オケの響きがアーダウーダ」
と、これまた判で押した「小学生の読書感想文」なみの評論。
もうトホホでしかない。

本来なら、マラ8や大地の歌なら、ソプラノやテノールの質を
評論すべきなのに、例えばジェシーノーマンの歌声は、
他のディスクのキリテカナワと比較するとアーダウーダ、
このように評論すべきなのに。

つまり、ほとんどの評論家がオーケストラフェチなので、
専門外のソプラノやテノールの独唱になると、評論する能力が無いので、
適当にごまかす、いやごまかすならまだマシ、シカトするんだから、
これはもう最悪、評論家と名乗るべきではない!