さっきN響でアダージョ聴いて思ったのだが、1楽章はほんとにこれで完成だったのだろうか?
低弦や金管、打楽器があまりにも休みが多すぎる。 マーラーならここで低音ずっしりだろう
と思われるような箇所でコントラバスがぼけ〜としていたりして納得がいかない。
残りの楽章書いていくにつれバランスも考えながらもっとぶ厚いオーケストレーション
したんじゃないだろうか、という気もする。
あの、音のない箇所は自筆譜では休符が書いてあるのか?空白のままなのか?

逆にこの楽章だけはこのまま室内楽的な精緻な響きで2,4楽章がクックやホイーラー、
カーペンターの誰よりグロテスクな音で対比を狙ったかも?
いずれにしろ本人が全部書いたら上記3人の誰より奇想天外でインスピーレーションに
富んだ音楽であったことだろう。

以上、上記3人の論文(?)や楽譜もみたことない素人の空想でした。