憶測ですまんが、アバドとLSOの良好な関係が確立したのは確か1983年の
来日の時。その時アバドは日本でマラ1とマラ5を演奏している。しかし、
ほぼ同時期に来日したマゼールVPOもマラ5を演奏した。それを比較して
吉田秀和がウイーンは良い、ウイーンは良いとラジオで連発。LSOは無視。
世論も当然、翁に同調。当時から日本はDGにとって世界的な市場だった。
レコーディングも商売である以上、このようなリクエストに答えるべく
アバドはベートーベンチクルス(多分マーラーも)でLSOとは地元ロンドンで
大成功を収めるも、レコーディングはのちにDGにVPOと行った。
LSOとの録音は、ラヴェル、ストラヴィンスキー、ビゼーなどに限定された。
このような経緯から考えると、マーラーの録音をなぜLSOと行わなかったのか等が
推察されるのだが。