319です。いろいろレスをつけていただいたようで。
いちおう日本の音楽界の「ピラミッド構造」の頂点にいた
「東京音楽学校で基本的に」とは断ったはず。
東京音楽学校では全くフランス音楽が演奏されたことも無く、
無視され続けたという気もない。

1930年代までドイツ音楽以外は全く日本に入ってこなかった
という気ももちろんない。
早い時期では大田黒元雄が1910年代後半にスクリャービンや
ドビュッシーを日本に紹介しているのも知っている。
しかしだからと言って、非ドイツ音楽が日本の音楽界で主流を
占めるか、もしくはドイツ音楽優位を脅かす存在に成りえたか
というと、そうではないだろうと思う。

東京音楽学校でドイツ音楽優位であった証拠としては、
外国人教師はほぼ例外なくドイツ系だったり、
東京音楽学校からの留学派遣先はドイツがほとんどであった
ことが挙げられるだろう(片山の解説を見ると、1930年代
後半の橋本の留学先もウィーン)。
留学生といえば、在野も含めて作曲家のだいたいの留学先は
みんなドイツかオーストリアで、フランス(例えば池内友次郎)と
いうのはあまりいないという事実も指摘できるだろう。

優位の東京音楽学校=アカデミック派とそれに挑む
非東京音楽学校=非アカデミック派というという構図が
存在した(と戦前期を知っている人は大体言
非アカデミック作曲家が出現して、さまざまな活躍を
し始めるのは、基本的に1930年代に入ってからで、
そこではドイツ音楽優位に違和感を抱いた香具師らが、
フランスなどの音楽を取り入れて、東京音楽学校に
挑み始めたということを言いたかったのだが。