許タンの言ってることは明らかに半分事実と違う。
「いちどきに輸入された」というのは少し言い過ぎ。

日本の戦前の音楽界は、戦前は「上野」と言われた東京音楽学校(今の芸大ね)を頂点とするピラミッド構造だった。
そこではドイツ音楽が基本的には絶対的優位だったのよ。外人教師もドイツ系がほとんどを占めていた。
それでもワーグナーなんてさぁ、日本で全幕演奏されたオペラなんてほとんどなかったんだぜ。

プロコフィエフなんてアメリカ亡命の途中に日本に寄って、演奏会開いてもほとんど無視されたしな。
フランス音楽なんか、ようやく1930年代に入ってから、上野以外の作曲家たちによって本格的に勉強されだ
したという感じだ。

「日本らしい味付け」がどうしてもついてしまったっていうのも、おかしい。
日本の作曲家は、ただの西洋の猿真似に甘んじようとしていたのじゃない。
そこに日本人が作曲することの意義を見出すために、「日本的作曲」を意識的にしようと思っていた。
例えばどのような和音を使えば、「日本的作曲」になるのか。1930年代には「日本的作曲」とは何かを廻って
日本の音楽界は大論争が起きる。

いいよなあ、適当な印象論だけで文章書いて金もらえるやつは。