>>41 もう少し詳しく書いてある文献があった。
プレイエルは、1757年に低オーストリアのルッペンシュタールの教師の24
番目の子として生まれた。1772年、15歳でハイドンの門弟となり、1777年に
は早くもエルデーディ公爵家の楽長となった。その後イタリア留学を経て、
1783年にストラスブール大聖堂の楽長に任命されるも、フランス革命で地位
を失った。1791年、ロンドンに赴いて旧師ハイドンと親交を暖め、作曲家と
して活躍。1795年、パリで音楽出版を始め、ハイドンの作品を多数出版した。
1807年からピアノ製造に力を注ぎ、有名な「プレイエル・ピアノ」の創始者
となる。1831年、パリで死去(74歳)。
作品:交響曲約30曲、協奏交響曲5曲、協奏曲8曲、弦楽四重奏、五重奏
曲各数十曲、オペラ2曲他。