金管奏者を目指す日本人の場合、その各個人には「自分の音」以前に、
「自分の音楽」がないことこそ、問題の本質だと思います。

まず自分の音楽、すなわち、「目指すべき境地」や「目標とするプレー
ヤー」以前に、「自分も(プレーヤーに)なりたい!!」と考えたきっかけで
ある衝撃や感動、つまり「自分の音楽」を実現するための動機が皆無である
ならば、その者から出力されるモノは「単なる音の羅列」止まり。
音に命を吹き込み、まず「自分の音楽」を仕上げることなど不可能(... と
いうより、「音楽」という概念が存在しない)。
音楽に客観性を付与し、聴衆を魅了するプレイに仕上げるなど、できる
はずがない。という結論に至ります。

つまり、どんな種類の楽器を手にするか、そもそも器楽奏者を目指すか
どうか以前に、「音楽に対する意志」がなければ、何をやってもムダ。
逆に「自分の音楽」があれば、世の中のあらゆることが、先達となり
「吸収の対象」となりえます。

単に音を並べるだけであれば、コンピューターの方が金管奏者よりも、
遙かに優れています。
コンピューターにも劣る次元で、単なる音並べを競い合っている以上、
日本の金管奏者から感動を得ることなどないでしょう。

今後とも、必要だと思いませんし ...