〈タタール=韃靼〉
8〜13世紀蒙古系のタタール部は、モンゴル草原で勢威をふるっていたが
12世紀半ばタタール部の支配下にあったモンゴル族のジンギス汗が蒙古
諸部族を統一してからモンゴルの名で総称された。モンゴル軍が西欧に
遠征したとき、タタール部が従軍していたので、その名を聞いた西欧人
はギリシャ神話のタルタロスメ地獄モを連想して、殺戮と破壊をもたらした
モンゴル人をタタール(ラテン・ギリシャ語たるたる)と呼んだのが
モンゴル人と混用され、13世紀モンゴル帝国が完成した頃から、
モンゴル・トルコ系の遊牧民諸族はタタール塔塔児と俗称された。
14世紀モンゴル帝国の元朝を滅ぼした明朝は、北方のモンゴル高原に
敗退して遊牧生活を送っていたモンゴル帝国の後裔の蒙古人を蒙古人
と呼ばずに韃靼人と呼んだ。それは明朝がモンゴル帝国の継承者である
とする中華思想によるもので、その後中国の北方民族に拡大して適用された。
ちなみに「イーゴリ軍記」のポロヴェツ人がトルコ系説と蒙古系説があり、
タタール(韃靼)である確証はない。ちなみにモンゴルのロシア侵入は
「イーゴリ軍記」の時代以後。

ポロヴェツ人の踊りとしておけば誤解はなかったのだが。