>>428
どこまで行ってもスパイラル・・・というような不毛な話ではないような・・・
ハイドン・モーツァルトの継承者としてのベートーヴェンはその完成者(もうそれ以上の高みへは誰も達成できない)、
あるいはその破壊者(あらゆる発展の可能性を追求した)として知られる。ベートーヴェン以後の人たちは、彼のあまりの偉大さに
追随しようとしても、成功することは難しかった。
たとえば、「タコ5」のスケルツォの再現はどう見ても「ベト5」のやり口のマネである。
ああいう風にやれば、誰しもがベートーヴェンを頭に描いてしまうのだ。
タコはこういった状況を逆手に取って、ああいう風にパロることによって「タコ5」が通俗性を獲得し、名曲として彼の代表作になり得たのではないだろうか。
ブルックナーにおいても、そういう趣はあるように、僕は感じる。

一方、形式構成の面においては、素直にハイドン・モーツァルトを継承したのはシューベルトではないだろうか。
すなわち
ハイドン→モーツァルト→ベートーヴェン→メンデルスゾーン→シューマン→ブラームス
というアカデミックで一般的なラインが厳然と存在するのに対して
ハイドン→モーツァルト→シューベルト→ブルックナー→マーラー
というラインの方にもっと光を当て、彼らの構築性がベートーヴェンとは別のものを求めたということに理解を示すべきではないだろうか。
それは、ある意味ベートーヴェンのやったことよりも、伝統的、保守的なものではなかったか?という考えである。
もちろん、これはオールオアナッシングではなく、比率的に後者の果たした成果にそれなりの至当の評価を与えるべきだと言っているのである。