<聴いた印象ではむしろ「いつのまにか再現部に入っている」という感じ。>
仰るとおりですね。展開部の余韻の中から再現部が浮かび上がってくる感じ。
第1稿を聴くと再現はもっと明確に聴き取れます。第2稿では楽器を変え、調的変化を加えたので、
一種の浮遊感がありますね。

(ベト的基準で考えたらブルの展開部は一向に展開部らしくない)
ブルヲタの僕から言わせると、ブルックナーの展開部に比べたらベートヴェンの展開部すら
展開部らしい展開部でないような気がする(笑い)。

ブルックナーの展開部は、自由であるべきその中にすらある種の《形式の枠》が存在ように思えます。
いわゆる起承転結の感覚です。
(1)沈潜部=提示部を受け、エネルギーをためる。
(2)高揚部=音楽が発展する。
(3)絶頂部=展開部におけるクライマックスを迎える。
(4)移行部=再現のための準備をする。

この起承転結の様式感からして、「第九」の例の部分は(3)の絶頂部に当たるのだと
いうのが僕の考えです。

「第六」は、高揚部からいきなり再現部に入るため、展開部としての食い足りなさが残るように思えます。
「第五」は、序奏部が関係して、特殊な展開部になっています。