>>338
特に「決定的証拠」と呼べるようなものはないようです。
今回の1888年版というのは、「新しい資料が見つかって定説がくつがえった」
という話ではなく、「資料等は昔のまま、でもそれらを扱う人の意識が変わった」
ということだと考えてます。

>>339
いや、話は全くそれていませんよ。>>337 では、監修という言葉を不用意に
使ってしまいました。実態は、レーヴェ達が準備した版下に対して
ブルックナー本人が色々自筆で修正している、ということです。
この作業を監修と呼ぶかどうかという問題ですが、正直なところ私にはわかりません。