<これは他人の手による筆写譜。つまり1888年稿の自筆譜は見つかっていない。>

そんなものはあり得ない。
1999年稿は、弟子たちが作ったStichvorlage(版下)そのものです。
コースヴェットの序文によると、第1楽章とフィナーレはフェルディナント・レーヴェが、アンダンテはヨゼフ・シャルクが、スケルツォはフランツ・シャルクが準備したということです。
そしてそれをブルックナーが監修して、訂正を加えたということです。

<ブルックナーが遺言で残した自筆譜は、第2稿の状態だ。>
御意。『遺贈稿』Mus.Hs.19.476。

<ちなみに、この筆写譜は1939年に見つかった資料だから>
したがって、これは『筆写譜』ではない。3人の弟子たちが作成した『稿』なのです。

< ハースもノヴァークもこれを見ているはず。>
ハンス・レーヴェ博士(多分レーヴェの家族)が所有していたとのことです。
ハースはこれを「第三交響曲」第1稿のあとに出版するつもりでいたようですが、
ノーヴァクがどういうつもりであったかは分かりません。ノーヴァクの最後の方は「第二交響曲」を
正すことをキャラガンに託したと言う話は知られていますが・・・・

<コーストヴェットもノヴァークもハース(2回目)も同じ資料を用いたのでしょうか。>
なんか、『遺贈稿』(第2稿)と『レーヴェ稿』〔第3稿)をごちゃ混ぜにしているようですね。
全く別物です。