チェリビダッケにとって、レパートリーが広いかどうかなどと言うことは全く眼中になかったと思われる。
彼がそこにこだわっていたのであれば「狭い」かどうかが評価の対象になるだろうが、問題にもしていないものを指摘したって、
問題外(的はずれ)なのは明らか。

チェリビダッケが徹底的こだわったのは、与えられた演奏空間で、自分の感じている音楽をいかに再現するかだけ。
だから、自分が前提とした空間じゃない空間で再生されることに耐えられなかったんだろうね。

毒舌と言われる部分はこうだ。
問 貴女は何年も前から、他の指揮者の批判をしてきた。
 85歳のカールベームに対しても。厳しすぎないか。
答 私にとって大切なのは真理だけだ。
 真理を口にするのがなぜ厳しいのか理解に苦しむ。ベームは単純な合奏なら上手にオーケストラをまとめることが出来る。
 だが、その分シューリヒトは素晴らしい音楽家だった。ベームの音楽を聴けば聞くほど、シューリヒトの心の中であり得た
 音楽の高みとベームの差が歴然と分かってきたよ。
問 きっと多くの人はそういう台詞に肩をすくめることでしょう。
答 音楽がどれほどのものであり得るかをまだ体験せず、だから何が音楽でないのかも分からない人がたくさんいることは痛ましいことだ。
 音楽とは構造化されたものだ。音は音楽になりうるが、音だけでは音楽とはいえない。
問 指揮者同僚を批判するのは今日では大変失礼なこととされています。きっとあなたは指揮者同僚とのつき合いはないのでしょう。
答 ほとんどない。私は今日、音楽が出来る指揮者を一人も知らない。
問 クーベリックやサヴァリッシュ、ショルテイたちと議論することは出来ますか。
答 クーベリックはおそらく話の分かる唯一の人間だろう。
  サヴァリッシュは大学の学長のような人だ。云々。
 そしてカラヤン。私は彼が大衆を夢中にさせることを知っている。コカコーラもそうだ。

この部分が「カラヤンーあいつはコカコーラみたいなものさ」と言う見出しで報じられ、毒舌家とされたゆえんのようだ。