カラヤンと同じ下劣さを感じる。

「さあ、クレッシェンドですよ。盛り上がってきたでしょう」
「ほらこのフルートは『泣き』の場面ですよ。こんなに哀しく
吹かせてますよ。泣けるでしょ」って感じの、押しつけがましさ。

言葉で各小説を説明書きし、その印象を増幅させて振る。
しかも、そこで捉えられる言語的印象は、フルトヴェングラー
らが真摯に追求した音楽の内面ではなく、どうすれば観客に
うけるか、CDが売れるかといったものであるような気がして
ならない。