18歳でパリの「エコール・ド・ページュ・トウルネ」に入学。
ピアノ譜法をモールス・シンゴー、室内楽譜法をゲーリー・P・ピーピーに師事。
2年後、舞台中に散り捲かれたデュラン社のシューマン・トッカータをいかに素早く
元に戻すかという卒業試験で、1分31秒3”の新記録で見事プルミエール・プリを
獲得し卒業。
この際、両足首と右手首を捻挫、全治不可能かと懸念されたが、フランス医学界のト
ップとして名高いピエール・P・ピーピー(ゲーリー・P・ピーピーの実兄)の治療
で全快する。
(因みに、それまでの記録は5分30秒12”)

翌年帰国、第四回国際譜めくりシンポジウムに参加、「譜めくりに手はいらない」の論文
を発表。同時に手を使わずに譜面がめくれる「ヴァキュウム・サックション・テクニ
ック」
を披露し、譜めくり界にセンセーションを巻き起こしたかに見えた。
しかし、その翌年香港で開かれた第五回シンポジウムで「ダ・カーポのある楽章はど
うやって戻すのか?」の質問に、ピアニストの左側から右側に移り「ヴァキュウム・サッ
クション・テクニック」を使用して見せた事に落胆とブーイングの声が多く出、この
発表は不成功に終わる。

1992年、イスラエル第一回国際譜めくりコンクールで左手部門一位、右手部門二位、
両手部門一位なし二位、座めくり部門二位、早めくり部門特別技能賞を受賞。