確かに、私もコンサートの途中にそんなこと、ノートを破ってメモ書き、できませんし、する人には
腹がたちますね・・・・でもこのエッセイの最後の文章は素晴らしいですよ。
・・・・自分の演奏が人の心に届いていた。こんな形で人の心に影響を与えていた。いい加減に音を出すことはよそう。
一音一音『心をこめる』のではなく『命をこめて』音をだそう。私自身が音となって誰かのたましいに触れることを、
ただ願って・・・・・・素晴らしい!素晴らしいではないですか!音に『命』をこめるなんて!
「先生、真理子さんの音に『命』なんてこめられているようには、聴こえてきませんが・・・」
おやおや千手さん、厳しいですねぇ・・・・「はい先生。そんなものより、まず安定した音程、ビブラートを期待したいです。
それと『いい加減に音をだすのはよそう』とエッセイにはありますが、逆の解釈をすると、それまで
真理子さんは、いい加減に音をだしていた、ということですよね。そんなこと、エッセイに書くことではなく、
演奏家として当たり前すぎることだと思いますが・・・・・それに、今でも随分いい加減すぎる
汚い音ですし、ミスも多いし、いい加減どころではなく、酷すぎる時があります。」
確かに、千手さんの言うとおりですね。「はい、その程度なのに『人の心に影響を与えていた』と自分でエッセイに
書くなんて、真理子さんて随分自惚れていると思います。もしこれが本当にあった話しでしたら、こういう美談は
あまり公表せず、自分の心の中にしまっていたほうが、より美しい思い出となる、私はそう思います、先生。」
千手さん、有難う・・・・なかなか良い勉強ができましたが、他の方はどうだったでしょうか?