上に引用しましたが、
今日でも演奏会を実体験して、音が会場に響き消えてゆくあの一瞬のはかなさは
ディスクでは絶対に体験する事ができないものです。
現在ではディスク(や放送局のテープ)を通してしかフルトヴェングラーの演奏を聴くことは出来ないが、
それはあくまで記録された音として固められたものを聴いているにすぎない。
だからこそディスクがフルトヴェングラーの音楽的需要の大部分を独り占めしてしまい
ディスクこそが唯一のフルトヴェングラーの音楽だとして崇めることは
音楽芸術においてとても危険なことといえるのではないでしょうか?