外国者から「ナチ」と非難され、そのためかえってナチ要人達は彼を味方と考えてしま
う。他方、フルトヴェングラー自身は自己の安全を確保するためには、亡命者達の攻撃=
非難が必要であった。かくして、ナチスも亡命者達も、それとは知らずに、彼の真の目的
(「ドイツ音楽の保全」)達成を助けていた。その意味で、彼はどちらからも本当に信頼さ
れない「二重スパイ」の役を演じていた。「こうして彼は何年間も、気を張り詰め、ほ
とんど耐えがたいほど神経をすり減らされる懊悩の世界に生きていた。ここにおいて音楽
家は、たんなる政治家以上のものだった。彼はいつなんどき正体を暴かれるやも知れぬ
‘二重スパイ’だったのである」(プリーベルク、132 頁)と。
確かにナチス要人達は、後に述べるように、フルトヴェングラーを全面的に信用していた
わけではなかったが、ともかく権力をもって強制的に取り込んだと思っていた。他方、フ
ルトヴェングラー自身は断固自己の芸術至上主義に依拠してナチス体制に反逆していると
確信していた。トーマス・マンら亡命者達は、本国の苛烈な画一化を体験する事無く、はる
か異国の「桟敷席」にあって、フルトヴェングラーをナチスだと決め付けた。かくてナチ
ス首脳も亡命者達もフルトヴェングラーを「贖罪の山羊」とすることで、それとは知ら
ずに、フルトヴェングラーの真の目的を達成させていたのである。それにしても、両陣営
の苛烈を極める「攻撃」を耐えぬいて、自己の目的の達成をはかろうとするフルトヴェン
グラーの強靱な精神力には、その間幾多の心の動揺があったのであるが、驚くべきものが
ある。
本論文は、このフルトヴェングラーのナチス政権への「抵抗」の様相を(そしてこの果
敢な「抵抗」にもかかわらず彼は周囲からはナチスに屈伏したと見做されるに至ったわけ
であるが)1933 年1 月から1935 年4 月までの2 年間ほどに限定して、ヒンデミット事件を
契機とする音楽界からの辞任、そして復帰に至るまでの時間に限定して、やや詳細にたど
ることにする

三石善吉:音楽と権力−フルトヴェングラ−1933 〜1935 年より