>>927
何か勘違いというか、考えがずれているようなので言います。
921です。
僕は、ピアノに芸術を求めている。やはりすばらしい演奏を聴いたときの喜びは大きい。
だけれども、フジコは全く練習していないのが明らか。あれだけテンポもだめでミスタッチだらけでは芸術以前です。
ただ、救いは音がきれいであること。
思うんですけど、ミスタッチしても許容できる場合というのは、925さんが仰るように、自分を厳しく磨いてきたピアニストにいえると思います。
例えば、フランシス・プランテ。
彼はショパンの作品で最後音を派手にはずしているのがありますが、それは何も彼の演奏の価値を下げてはいない。
彼には若い時分から磨いてきたテクニックと筆舌に尽くしがたい美しい音色(フローティング・トーンと呼ぶ人がいる)があり、
ちょっとしたミスが彼の芸術の芸術のすばらしさを下げてはいない。
むしろ、輝かしいミスタッチとでも呼びたくなる。
あと、ウィルヘルム・ケンプ。彼は晩年には、かなりテクニックが衰えたけれども、あのとろっとした美しい彫琢の整った音があった。
それが見事に晩年の芸術を作った。
ホロヴィッツだって、初来日の失敗を認め、練習に打ち込んでいる。
このようにピアニストは、日々、自分の欠点と厳しく戦いつつ、自己の芸術を高めている。

ピアニストは、確かに金がないと食べていけない。でもフジコには芸術家としての意識が
あまりにもなさ過ぎるように思う。
919さんや920さん、そして僕も含めて、資本主義や金稼ぎのことを言っているのではない。
ピアノ芸術のことを言っているのです。

芸術家ならば、ピアニストなら、磨きに磨いた自分の演奏を聴衆に聴いてもらい、感動してもらうのが、「芸術家としての喜び、努め」であると思う。

果たしてフジコはそこまで努力しているだろうか?

僕らは、苦労話を聴きたいのではない(苦労話には同情するところもたくさんあるのは事実だけれど)。芸術がほしいのです。

だから、彼女も、芸術家として、すばらしいピアノ演奏を聴衆に示せばいいだけの話です。