地元大阪では、1980年台半ばぐらいまで一部の人を除き殆ど評価していなかった。
大阪フィルも同様。(はっきりいってヘタクソ。特に弦。在京桶にかなわない。)
大阪の人は海外の超一流(カラヤン/ベルリンPO)等をフェスに呼んで来て
聴くのが好きだった。(かつての大阪国際フェスティバルの栄光)
東京で先にブレイクして、例の演奏後の儀式が始まってから、人気が大阪にも
逆輸入されたのです。(ちなみに俺は大阪人)
そして晩年の彼は確かにあやしかった。N狂とのぶる8等生で聴いたが
楽器間のバランスも悪く、ぶる9となると2楽章の途中でリピートが何回目か
自分で解らなくなり、それに気づいたコンマスの堀氏が必死でリードをとっている
のが映像にも克明に記録されている。