ミスがきにならないってゆうけど、
ここでこの音を聴きたい、ここでこう歌ってほしい、
こう盛り上がってほしいって所でめちゃめちゃに弾かれちゃあ
コンサート代かえしてくれいってなるさ。
だから素人の域をこえないんだよね。

たとえば
ある所でそんなにもったいつけて歌うんじゃなくて、
もっと違う所にとっておかないと、その曲の骨格がまるで違うものに
なってしまう。きれいだからいいじゃないかとゆうかもしれないが、
それじゃあ、開始音から盛り上がり向けて蓄積されているエネルギー
(音楽の、また、聴衆の心の中の)がどこへいったらいいか分からなく
なってしまうのだよ。
肝心な所で素通りにされちゃあ、映画のクライマックスで
音声がでなくなるようなもんだよ。

フジコフジコと言っている人たちには
もっと多くのいい演奏を聴いてもらいたいな。
そこまで思い込めるのなら、他の本当に良いピアニストも
一度良いと思い込んでみたら、簡単にはまれると思うよ。
テクニックだけ と言っていることこそ思い込みですよ。
いつもフジコを聴いてるから麻痺して、まともな演奏が
無機質にきこえてしまうかわいそうな耳になっているのですよ。
まともなピアニストの演奏(できれば生)をきいて、音から
その素晴らしさ、人間性、音楽、を感じられる
感受性をとりもどして欲しいものです。