第2楽章は、作曲者が「諧謔について」と呼ぶところのアレグレット・スケルツァンド。
強靱な8分の5拍子で一貫するが、このリズムは、「4分の2+8分の1」
として把握されるよう指示されている。
柴田南雄は、「8分の2+8分の3」という西洋的な5拍子と違う、
このリズム分割が「日本的、東洋的」だと評している。

第3楽章は、作曲者が「死に関する諸観念」と呼ぶところの緩やかなフィナーレ。
「日本的作曲」という表現が当たるかどうか、ともかくも交響曲の終楽章としては破格な、
交響詩的構成に拠っている。
序奏的な性格を持つ、雄大なアダージョ・トランクイロのあと、
アンダンテ・トランクイロの、半音階的な二重フガートがはじまる。
この部分は、せわしげで苦渋に満ち、行き場のない不安感に満ちている。
が、その末に、クラリネットと弦とオルガンによって、長調による、
清らかなテーマが立ち上がり、苦渋と不安を浄化して、全曲を結ぶ。
「死」がテーマに掲げらていることから見当がつくように、この楽章には、
戦争末期、1億玉砕と自らの死を覚悟した諸井の、苦悩と悟り、
ないしは諦めの心情が、切実に投影されていると考えられる。
この楽章は、戦時下の日本知識階級層の精神状況についての、
真に偉大なドキュメントと言えよう。
この作品を言わば辞世の音楽として遺しながらも、戦後長く生き残ってしまった諸井が、改めて作曲になかなか打ち込めなかったのは、
至極当然のように思われる。この曲のあと、いったい人は何を作ればよいのだろう?
『交響曲第3番』は、戦中に演奏機会を得られず、ようやく1950年5月26目、
日比谷公会堂に於ける東京工業大学の大学祭のコンサートで、
山田和男指揮の日本交響楽団により初演された。続いて翌月14日には、
同じメンバーでNHKから放送され、その次は、それから28年後の4月6日、
諸井の追悼コンサートでの、山田一雄指揮する東京都交響楽団の演奏となる