ハイティンクがベルリンフィルと春の祭典を演奏したヨーロッパ・コンサートの
映像があるが、これのアンコールで演奏されたチャイコフスキーの花のワルツが
指揮者の歌心のなさを如実に示していた。豪勢に鳴るオケの華麗な音色とは裏腹に
音楽はひたすら刻まれる印象が強い。なぜそうなるのかというと、フレーズを
律儀に正確なリズム割りで歌っている、いや鳴らしているからだ。
つまりアゴーギクが他の指揮者に比べて著しく少ないということだ。

同じように歌心に欠けていると思われる指揮者にアンタル・ドラティがいる。
もっとも歌心がないから悪いというわけではない。
ドラティのバルトークはこの旋律を歌わせないことで独特の緊張感を生んでいる。

ハイティンクやドラティに比べるとアバドの指揮は旋律を大きく歌わせる要素が
はるかに大きい。(もちろん常に旋律重視というわけでもないが)
アゴーギクによりフレーズが小説線を超えてしまっている場合もあるし、
強弱の差もフレーズの呼吸に合わせて大きめにとることが多い。
例えば、前述のチャイコフスキーやストラヴィンスキー、マーラーなどで
ハイティンクやドラティと比較してみるとよく分かる。

アバドの指揮者としての欠点はもっと他のところにあるのではないか。