現代音楽 第七章
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> そういう文脈で捉えられるべき仕事とも思えないのですよ。
> 調性への回帰=日常性への回帰、ではないでしょう。
単純にイコールと割り切れないがそう考える人もいる。
もっと言えばジャズやロック、ポピュラーのスタイルを引用することを日常性と捉える人もいる。
あくまで「一部の」調性主義の作曲家には当てはまらないでしょうし、一部には当てはまるでしょう。
既存のスタイルで完成度の高い曲を書く人は、一般のクラシックファンには受けるが作曲による芸術への問題提起とは必ずしもならない。
一方で日常性を引用しつつ日常性を逸脱するという文脈で作曲したとしても、それを聞き手が認知できるかどうかは美術に比べると非常に難しい。
佐藤聡明と、吉松隆・長生淳を一緒にくくったのはまずかったかも。
ミニマルやモーダル・クラスターあたりから派生したグループと言えば、佐藤聡明のほかに藤枝守、北爪道夫、一時期の松平頼暁もそうだし、
海外では北欧やバルト三国、オランダ、カナダなどに多く見られる。
吉松隆はポップやロックの引用を前提としているから文脈が異なる。
長生淳のような「調整で良く書ける」スタンスを取る作曲家はほかにも岩代太郎などたくさんいる。藤家渓子も同様か。
田中カレンはデビュー当時は和声サーリアホと呼ばれたくらい前衛的な音楽を書いていたのに、最近作はエンターテインメントとしか評せない。
久石譲は純音楽として、本人としては実験的なスタンスでミニマルを書いているのでその意味では前者のグループになるし、
良く知られた宮崎アニメなど映画音楽のスタイルとしては後者のグループに属するだろう。
三枝成彰や坂本龍一も、初期の純音楽と今のスタイルではあまりに違う。
最近ぜんぜん満足に眠れなくて。睡眠障害?一度医者に見てもらうべきでしょうか。
眠れず悶々とベッドで横になりながら体は休まるが脳みそが休まらない。
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