石井宏「反音楽史」は反語的なドイツ礼賛の書
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0093名無しの笛の踊り
04/03/02 15:54ID:DtGnKAVh「ドイツの作曲家」「イタリアの作曲家」という区分はそもそも自明なのかという疑問がある。
作曲者の国籍がその国に対する文化的所属を必ずしも表さないのは
20世紀の作曲家を見れば明らかだし、同国内でも地域によって分類すべきではないのか、
ということは地域的に「違う国」だった場合は「違う国の作曲家」として扱うべきではないのか、
という疑問がある。そうなると「どちらがどちらに影響を受けた」
「○○国(ドイツ)の作曲家は××国(イタリア)の作曲家に劣っている」などと
簡単に言えるのか。
また、「音楽的先進・後進」はおそらく
「劇場・ホールの数」「公演数の数」「有名な作曲家の数」「観客・聴衆の数」
「音楽学校の数」あたりでおよそ測られてるんだろうが、その基準は妥当なのかどうか。
その際の視点は同時代的であるか現代からの視点であるか。
アーサー・サリヴァン時代のイギリスや今の日本なんかが問題になる。
当時のイギリスはあれだけオペレッタが多かったんだから劇場数も多かったに違いないし
公演数も多かっただろうが、「パーセルからエルガーの間に有名な作曲家がいない」だけで
当時のイギリスが音楽的後進とされてきているのはあまりにも強引すぎ、同時代性を
無視してはいないか。このときの「質」の評価には反駁すべき当のドイツ的音楽史観が
含まれてはいないか。実際のところ現在「質の判定」で使われている
楽理的アプローチ/思想・哲学的アプローチというもの自体が全くドイツ中心音楽史的では
ないのか。(音楽と思想・哲学を結びつける方法、音楽学自体がドイツで生まれたことも
考えるべきである)
またそれは同時代評価を尊重すべきか現代の評価を尊重すべきなのか。
という疑問は大量に噴出する。この辺この本は何も答えないで自明として進めているけどね。
総じた感想は、全体に漂う差別的思考にうんざり。
読みづらい長文失礼しました。
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています