>>216
長過ぎ。
質問は簡潔に数行にまとめるべし。

例えば自分で歌をどう歌う事を考えてみ。
どういう風に歌うか、という考え方=解釈。
クラシックの場合はテンポや音の強弱、リズム等は厳格に楽譜で指定されている。
解釈の余地はないのでは?と思うかもしれない。
でも楽譜は実際は非常にあいまいなもの、なにもかも指定する事は不可能だし
場合によっては楽譜自体が間違っている(ベートーベンの速度記号のように)事もある。
また伝統的に変えて演奏するのが正しいとされる場合もある。
楽譜が不完全でしかも正しいという絶対的な指標が存在しない以上人によって解釈が
違うのは当たり前。
ピアニストが十人いれば十通りの解釈が成立する。
誰かが絶対的に正しいわけではない。
多くの人により説得力を持ち感動させられる演奏が名演というだけのこと。

その解釈についても19世紀には自分流に味付けして演奏する事だった。
楽譜の指定を無視するのは当たり前、場合によってはアレンジしたり音符を書き加えたり
アドリブ(即興演奏)したりした。
今でいう解釈はというと抽象的だが<その曲を正しく再現>する事だろう。
作曲家の指定に、ではなくあくまで音楽に忠実に。
作曲家は作り出した人間だが必ずしもその曲の正しい解釈の持ち主であるとは限らない。
端的にいえば作曲家は作曲の才能があるだけで演奏の専門家ではないし、ラフマニノフ
のような大ピアニストといえどその演奏はその解釈の一つに過ぎない。