★Sir!★サイモン・ラトル★さー?★
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0128名無しの笛の踊り
04/04/15 00:56ID:CnuTzg96ラトルは、スコア→演奏 で自分の音楽作りをしてるような気がして仕方ない。
「演奏=クローンを生み出す行為」という表現は、「一つの曲の対して複数の異なる
演奏が存在する」という意味で、ラトルの音楽作りの問題点を主に述べる文脈の中で使った。
では、そもそも演奏とはどうあるべきものなのかというと、カラヤンが「現在の指揮者は
テープでブラームスがどういう音楽か知るけど、私の時代はスコアを読んで知るしかなかった。
でも、今でも私のやり方が正しいと確信している」というような発言をしてるけど、
演奏家が、スコアでなく他の演奏家が演奏した曲で、自分が演奏する曲を理解してはいけない、
というのは全くの正論だと思う。
演奏というのは、名曲が名曲である由縁であるその曲の本質を表現した上で、
その演奏家しかできない表現で、音楽を作らないといけないと思う。
萩本欽一が、弟子の芸人に突然お題を出してリアクションさせ、その芸の出来を採点する
という訓練をよくやったそうだけど、一つのお題に対する芸という自己表現は、
芸人の数だけあり、百人芸人いれば正解は百通りあるのだと思う。
曲と演奏の関係も、こうしたものだと思うのだけど、ところが、ラトルの音楽作りは、
そうしたその演奏家しかできない自己表現ではなく、スコア→演奏 という
単に名曲を素材にした、ラトルの音楽作りの方法論を聞かされている様な気がして仕方ない。
そしてこれが、ラトルの音楽作りの問題点、ラトルの演奏の致命的欠陥のように思う。
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