★Sir!★サイモン・ラトル★さー?★
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0124名無しの笛の踊り
04/04/14 02:35ID:j7AanG3Wなるほど。確かに、ラトルの新しいマラ10は、カラヤンのマラ9みたいな磨きあげられた、洗練された感じの演奏で、
旧盤より良くなった所があるかもしれませんね。
ものたりない所というと、私は、ラトルの音楽は、映画「ルパン三世ルパン対クローン」のマモー京介に
似てるように思えるんです。
クローンは、オリジナルからクローンをつくるんですが、次第にクローンからクローンをつくるようになる。
でも、クローン技術は完全ではなく、映画の中で失敗作のクローンのクローンが登場するんです。
どういうことかというと、再び変な例えで大変恐縮ですが、本のゲラ直しとは、ゲラの間違いを直すのが目的でするのはなく、
手元にはない印刷所の印刷原板の間違いを直すために行うわけです。
つまり、ゲラはクローンで、印刷所の原板がオリジナルです。
これを音楽でいうと、ゲラがスコア、印刷所の原板が曲(目に見えない耳に聞こえない無形のものです)、
作家の原稿が作曲家本人(殆ど故人)になるわけです。
演奏というのは、ある意味、曲を音にして再現する形でクローンを生み出す行為だと思うんですが、
ここで重要なのは、クローンはできるかぎりオリジナルから直接つくらないといけないもので、
クローンからクローンをつくってはいけない、ということです。
私は、ラトルという指揮者は、スコアというクローンから、演奏というクローンのクローンを生み出している
音楽家のような気がして仕方ないのです。
スコアという曲のクローン、プラス自分の頭脳だけで、伊東家の食卓のウラ技のように曲を演奏してるような気がするのです。
ラトルは、スコアとは、無形のものであるオリジナルを目に見えるものにしたもの、と思っているのではないか?
これが、前は一見魅力的に思えたラトルの演奏が、近年全然魅力的でなくなってしまった大きな原因ではないかと、私は思います。
マラ10という再録音盤でそれを感じました。長々すいません。
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