フルトヴェングラーはベルリン・フィル、ベルリン国立歌劇場管弦楽団、
ウィーン・フィルの責任者的立場の人間であり、それはそのまま祖国
ドイツの伝統の継承者であるという事を明確に意識していた。

そこに台頭してきた、裏ではユダヤ人虐殺をしている今で言うところの
オウムのような狂信集団・ナチスが国政を牛耳り、彼をさかんに政治的
に利用しようとするところにフルトヴェングラーの悲劇があった。

彼が「ワグナー好き」と公称し、ベルリン陥落の日にワグナーの「神々の
黄昏」のワグナー直筆のオリジナル楽譜とともに炎に包まれた狂った
総統・ヒトラーとの距離の取り方にどれだけ細心の注意を払って祖国
ドイツの伝統集団である楽団を守ろうと努力しても、それは海外からの
眼には「ナチ協力者」に見えるだけであった。

戦後トスカニーニとフルトベングラーが邂逅した時も「あなたはナチス
協力者だ」と言い立てるトスカニーニにフルトヴェングラーは祖国ドイツ
に踏み止まり多大な苦労を払った人間として、上記のような事をいい、
「アメリカにいて安全圏にいたあなたと私は違う」と言い放ち、大激論に
なり両者はついに折り合うことなく決別したという。

そしてそのときの恨みをトスカニーニは終生忘れなかった。