どうもどこまでも言い方がうまくなかったようで。
移動ド唱法そのものは単なる視唱習慣だからどうでも良いが、
「移動ド的音程機能感覚」は、歌だろうとピアノだろうとバイオリンだろうと、
あるいは純粋聴き手だろうとを問わず、すべて音楽にかかわる以上は
必要不可欠だ、ということです。いささかややこしいが事実だから仕方がない。
なぜならば音楽はそれによって成立しているから。これに比べたら
絶対音感だの純正音程だの、あまりにも瑣末な問題です。