おれも詳しいわけではないがいくつか指摘できることをあげとこう
まず30年前は一般家庭にビデオなんかまだなく映像の需要はテレビ局だけで
ユニテル社という映像専門会社が請け負っていた、まあ特殊産業だった。
(音と映像を同時に制作したテレモンディアル社はもっと後に設立)
それと、70年代まではまだまだレコード会社と歌手との専属契約がきつくて
パヴァロッティは80年代中ごろにDGにも出るようになるまでデッカ以外に出演したのは
EMIの「友人フリッツ」だけだったらいし、ドミンゴはこのころは・・・RCAの専属なのかしら?
で、音と映像はそれぞれ違う契約のはず、カラヤンはあらかじめ音録りと映像録りと
2度手間になることは知っているはずだから考えられるのは
1)音(レコード)もドミンゴで録りたかったのだが、契約上デッカに出ることができず、
仕方なくパヴァロッティで録った。
2)声を重視してレコードはパヴァ、ヴィジュアル重視で映像収録はドミンゴと
カラヤンの好みで振り分けた。
ま、このいずれかで、たぶん2)じゃないかな?
それと、合理主義者カラヤンだから、録り直しはテノールが絡むところだけだろう、とは思うね。
そのためのコラボレーションなのだから。