>37Mくん
ちょっと面倒でもこれ見てよ。

6歳からピアノを父に学び、8歳からはモスクワ音楽院附属中央音楽学校でエレナ・ホヴェンに師事、
1975年にはグネーシン音楽学校に進んでいる。

しかし政治にも目覚めたザラフィアンツは学校内でブレジネフの肖像を落書きしたため、
南ウラルのオルスクへと移され、モスクワ音楽院への道が閉ざされるという悲劇を味わっている。
1979年にはオルスク音楽院を首席で卒業するが、一切の演奏・教育活動の機会は与えられなかった。
1980年ゴーリキーのグリンカ音楽院に再入学、イリヤ・フリートマンに師事、1985年に首席で卒業。
さらに1988〜90年にかけては同音楽院の研究科でも研鑚を重ねている。
この間、1985年に全ロシア・コンクールで第3位に入賞し、ようやくロシア国内でリサイタル、協奏曲の演奏会を行うようになったが、
その素晴らしさが国外に伝えられることはなかった。

 ザラフィアンツの名前がようやく人々に知られるようになったのは, 1993年ポゴレリッチ国際コンクール(アメリカ
合衆国カリフォルニア州パサディナ)で第2位となった以降のこと。
以来、ドイツや日本を中心に演奏活動を行っており、
またクロアチアのミルコヴィチ音楽院では後進の指導にもあたっている。