J・S・バッハ【総合】 Part3
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0533名無しの笛の踊り
03/12/19 04:19ID:XqbR/573第一点
楽器や名手との出会いによってイメージが喚起され、作曲された可能性のある例を
挙げたもの。
仮に先にイメージがあったとしよう。
>よりイメージに近い新製品が出たので使っただけとも考えられるのでは?
この仮説は、新製品が出る前には作曲はされなかったことを認めている。
すなわち、イメージと演奏可能性とを比較したときにバッハが形而上的・観念的な
イメージよりも現実的な視点を優先していたことを認めていることに他ならない。
さらに、移調や編曲の例は、いわばイメージチェンジである。形而上的イメージが
先に想定されていてそれが優先されるならば、なぜ簡単にそのイメージと異なる
響きをもたらす作品を生むにいたったのか。バイオリン協奏曲をチェンバロ協奏曲に
編曲したのも、先にチェンバロの、あるいはチェンバロに近いイメージがあったとでも
言うのか。
第二点
>フーガの技法はどの楽器の何年型のどのモデルを想定したか、明らかだというのですか?
>>530をどう読めばそうなるのか、それこそ理解不能。
フーガの技法には、純粋に音楽的な(「形而上的」と言ってもいい)観点からすると
不自然なオクターブ転移が何箇所かに見られる。そうしないと手が届かないという
単純な理由による。また平均律でも楽器の音域を逸脱しないように音型を変形している
箇所が見られる。これを俺は「現実的な演奏可能性を優先」と表現したのであって、
形而上的響きが優先されているわけではないと主張した。
何年型モデル云々というのは一体どこから出てきた話なのか。
>それを使った以外の演奏は、オーセンティックの必要条件を満たしていないと?
ID:xr8+M0s8氏は>>525で
>当時の響きの再現をオーセンティックと断じるには無理があるとは思う
と述べている。この説によると、何年型のどのモデルを想定したかが仮に明らかに
なったとして、その楽器を使用したとしても、なおも「オーセンティックと断じるには
無理がある」ことになる。
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