>>361
>マネのオランピアを見て激怒した紳士が持っていた、、、
 たしかに文化が違うのでマネの絵に対する衝撃は日本人には
理解できないのですが、
裸婦画の下半身をカーテンが隠して展覧会で公開したことが明治初期
にありました。この日本近代の涙ぐましい、
試行錯誤(写真を掛け軸にしたり)の歴史は明治美術学会が80年代以降、
急速に解明してきています。
>特に現代音楽には大衆を拒否する悪い意味での秘儀性のようなものを
感じてしまいます。気のせいでしょうか。
 そうですね、アドルノは音楽にそういう理解不能なものを理想として
アメリカ型の大衆芸術を攻撃していました。わたしもふくめて
現代美術、音楽は感覚的な面白さだけでなく「どう理解するかという
ゲームを楽しむ部分」があります。これは本末転倒のように思えますが、
実際に、伊福部氏や高山良策氏(怪獣つながり)
などの業績をみると現代芸術の必要性がよくわかります。
>また、傾向としては現代美術が比喩の対象に使う音楽は現代音楽なのでしょうか、
それともラヴェルなどに遡ってしまうのでしょうか?
 比喩をつかうのはファインアート全般がその純粋感覚的な部分を
形容するのに音楽の一般的な概念をつかうということで、
その逆の場合は感覚だけでなく、具体的なイメージの場合もあります。
「キャンバスの上のオーケストラ」と
「色彩豊かなイタリアの市場のような音楽」
の構造的な違いがわかりますか?