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個人的には、ケツマンセーなんていうつもりもないし、
広上>>>>>(越えられない壁)>>>>>ケツ
位にしか思わんが、それでも一言あんたに言いたい。

全く能力のない指揮者なら、丼崎みたいにコンクール優勝から
5年もしない間に、過去の人になっているはず。まして、ケツの
あの人格じゃ、とうのとっくに干されて当然。それを生き残っている、
というのは、「現場サイドから支持を受けている」という証明ではないか?
オケだって、チケットの売れない、面白くない、仕事しにくい指揮者を
わざわざ使うはずがない。実際、現場(少なくとも日本フィル楽員)の
ケツへの信頼は篤い。
ケツが面白くないとすれば、それはコバケソの「便所紙」に徹しているから。
かつて広上も、「コバケソの後は(音が)荒れる」と言っていた。近年の日本フィルが、
「それなり」の水準であるのは、広上やケツのような「便所紙」が機能しているから。

「めったに演奏されない曲=不当に埋もれた作品」をケツが取り上げるのは、
表現力がない(メジャーな作品では実力がバレる)からではなく、
その作品をもう一度世に広めたいから。
その際に、「表現のない」演奏をしようものなら、作品を不当に低く評価させることになり、
やるだけ無駄、という事になる。ひいては、「そんな企画、誰が認めてやるもんか…」
というオケの反感を買うことになる。
ツェムリンスキーとか、ハンス・ロットとか、「商業ベースにのらない」作曲家を取り上げる
ようになるには、「やらせてやろう」と言わせるだけの、音楽的実力が当然必要。
(オケにとっては、ツェムリンスキーよりも、「新世界」のほうが当然カネになる。それを、
あえて儲からないプログラムを組ませるのは、資本経済の原則から見て異例の事。)

だから、「堅山と知能障害者だけ」しかいいと思わない、というあんたの主張は、
完全に的外れ。少なくとも、オケの楽員は信頼している。