◆★期待の東洋人ピアニストを熱く語ろうOp.2★◆
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0289名無しの笛の踊り
03/10/07 02:27ID:???>哲学者ごときの戯言で簡単に解き明かされてしまうようなつまらないものである
>はずがない。そう思いませんかねイムファンさんよ。
私もあっちのスレで述べているように、哲学で音楽を論じることの【有意義性】を
強く感じる一方で、ベースとなる音楽理論の知識不足に非常に悩んでいるわけです。
しかしこれは個人の知識量の問題であって、哲学の可能性に関わることではないでしょう。
哲学が聴覚芸術に踏み込まなかった理由は、もっと深遠なもののようです。
比較宗教的・歴史的・文化史的な視点を導入して初めて適切に語れるようなことだと思うし
、私の狭い見識でも、現代のフランス現象学派(デリダではない)系の或る若い日本人研究
者で、この亀裂を解明するようなヒントになる研究をしている人がいると思われます。
私にとってこれは大変難解な(ある意味神秘的な)議論で、すぐに御紹介で見ないのが残念です。
あと、哲学・音楽の両分野をまたにかけた哲学者も歴史上に幾らかはいたと記憶してます。
いずれにせよ、哲学が戯れ言というのはよしませんか。
少なくともヨーロッパ由来の文化と関わりを持っている人で、キリスト教の本質についてま
るで無知であったり、哲学を戯れ言と思っているような総合的な知性の低い人がいるとは、
少々驚いています。
知らないことが悪いのではないのです、専門が違えばわからなくて当然。
「今知らない」と言うことは、「やがて知る」という未来の現実態の部分、
「知っているということ」の可能態にしか過ぎないじゃないですか。
少なくとも「知りたいという欲望」によって動機づけられていれば、の話ですが。
本当に問題があるのは、(ぼくは引きこもりさんの態度がこれなんですが)
自己の知らないことに気づいていながら「絶対に認めない」という態度、即ち嘘・虚構。
(知らないことについて「気づかない」は別でしょう、誰か教えてあげればいいだけ)、
曲がった自尊心から知らないものの価値を貶めてしまう態度、あんなのはくだらない等。
(これは己の生きる世界を狭くしているだけではなく、排他的・暴力的態度)
「ぼくはひきこもり」さんにも同様のことを言いましたが、こういうのは悪徳ではないですか?
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