こうした矛盾ともいえる発言は、この解説の全体にわたって認められる。
(I-2、III-5など2手で弾けないことを上げるにも拘わらず、III-1では「フー
ガの技法全曲が、すべて2つの手で正確に演奏できるように書かれている」とし
たり、III-4では(部分的とは言いつつ)理論ではなく演奏可能形態を優先させ
ている、と主張してみたり <― 終始一貫性がない)

フーガの技法の浄書の問題にしてもそう。浄書されているから完成したものと前提
し全体の論の基調としているが、それでは何故印刷譜のような改訂がなされるのか
明確な理由もなく矛盾している(そして録音はなぜか独自の配列による印刷譜の方
である)。

C.Wolffは自筆清書と印刷譜は異なった別のものとして、2つの別バージョンである
ことが原典の批判的研究上からもたらせられた結論とする。一方小林氏は書誌学的・
筆跡鑑定の立場から、自筆は他のバッハの楽譜にも普遍的に見られる単なる草稿と
している。小林氏は自然科学の分野の客観的な分析法は重んじられるべきだと思う
し、書誌学に暗くても近年の傾向ではWolffの意見が妥当なところと言えるンじゃぁ
ないかな。

以上は、クラヴィーア様式であるということが根拠を作していないことの一例と、
解説全編を支配する、アンビバレンスについて。

とまあ、とりあえず前おき ここまでいってみようか。