時代のパラダイムが違う背景では当然作曲家の意図っていっても
及ぶ範囲が違うはずですね。譜面にすべて書き込みたい作曲家
というのは、それ自体が新しいパラダイムの登場を意味しているし、
これは結局「モダン」なクラシック音楽像につながる。
ただそのパラダイムが上述のような違いを無化して、すべて同じ
ように作曲家の意図って奴を全面化したというパラドックスがあるのでは?
逆にいえば、オーセンティック派のポジションを作曲家個人の意図に
とると、そこも矛盾してしまう。とりあえず時代のパラダイムに返し
てみるってことで理解してよろしいか?