>>638
え〜〜〜〜〜〜〜???ますますわからん。

「クラシック」が文学的な、あるいはそれ自体についての哲学的な解釈・メッセージの読み取りを要求するものである、というのが異常なことである、ということらしいが、

それはクラシック、という音楽が日常の道具や工芸品やあるいは儀礼・作法という物がもつ、あるいは埋め込まれている文脈から遊離しているからだ、わざわざ独自の意味づけをしなおすことが必要とするようになった、

ということを言いたいのだろうか?

(ところでロックやジャズとはどう違うんだろう?現代音楽なんてゴリゴリに哲学やら科学やら思想めいた言説を読みとることを要求していないか?)


対比して考えてみると、
たとえば民族音楽なら、 儀式と分かちがたい物が多いだろう。  意味内容志向するものは明白、しかもいつ、どこで演奏するかまでが限られてる音楽なんて山ほどあろう。
また古楽が解釈を要しない、といいながら実は古楽はどのような意図で作られた、ということが明白きわまりないのでわざわざ解釈を要しない、あるいは解釈するほどの対象ではない、と言う意味にしたい、というならワカラナイでもないけどさ。
それは宗教音楽は儀式及びそこで表現されている教義のためだし、色事を歌ったシャンソンはまさにくだけた席でお色気話を楽しくやるためのお遊びだろうし、ダンスや食事の時の音楽は美しく、快ければいいんだろうし
 そしてそこにはあとはせいぜい音楽上のお作法があるだけ、と_っ ゜∀゜)っ∴  

しかしその教義だの、機会にふさわしい気分や、またお作法には包まれた意味があり、それにふさわしいものを追求すること、が要求されるはずであり・・・それは解釈の巧みさ・深さや、趣味の良さ、を要求するはずであり・・・

そう考えると、表現者としてはどうなんだろうね?