ヴィヴァルディについて語るスレ
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0981名無しの笛の踊り
2005/04/19(火) 01:01:09ID:r9AMg1lR>晩年は貧しい老人のための施設で暮らして一生を終えたそうですね
それは違いますよ。だって死の前年までピエタに奉職し、国賓を迎えての
演奏会のために作曲と指揮を務めているのですから。
ヴィヴァルディがふっつりとヴェネチアから行方をくらましたのは
その直後。彼の最大のパトロンであるカール6世に謁見し、ウィーンで
更なる成功を目論んでいたようです。(この頃故郷ヴェネチアでヴィヴァルディの曲は
流行から外れていたらしい) しかし、運が悪かった。
彼がウィーンへ向けて旅立った頃、カール6世が急死してしまうのです。
(毒キノコにあたったんだっけ?)それからオーストリア王位継承戦争やら
なんやらのごたごたで計画は全てあぼーんしてしまったと思われます。
よってウィーンでのヴィヴァルディの動向を示す記録は皆無なのです。
分かっているのは聖シュテファン教区のサットラーという人の家で死亡し
1741年7月28日に市民施療院の墓地(貧民墓地)に埋葬されたということ、
死因は体内の炎症であること、極めて簡素な葬儀であったことです。
カール6世が不慮の事故?で死んでいなければ、ヴィヴァルディがピエタを
辞職していなければ、こんな寂しすぎる死を迎えることはなかったでしょうに。・゚・(ノд`)・゚・。
>ヴィヴァルディのころのカトリック教会は神父さんの老後の面倒を見なかったのでしょうか?。
上記のような状況で教会当局がヴィヴァルディの面倒をみれるわけがありませぬ。
17・18世紀のカトリックが今と違ってどーなのかは知る由も無いですが。
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