ブラームスの第2ピアノ協奏曲の録音はブーニンと予定があった。
ザルツブルグでリハーサルもやった。
カラヤンの健康状態が不安定で、演奏会とレコーディングのスケジュールが合わなくてお流れになった。(ブーニン談)
おそらく85年から87年の話です。ブルックナーの8番のレコーディングが何度もこの時期お流れになったころです。
ブーニンもDGと契約してたし、当時のレコ芸の海外レコーディングニュースにも載ってた記憶がある。

ブーニンはカラヤン大好き人間で、ギーゼキングとやったモーツァルトの23番が愛聴盤で
旧ソ連の自分の部屋にはカラヤンのポスターが貼ってあった。(NHKの番組で確認)

チャイコフスキーとかシューマンとかメンデルスゾーンの全集はDGのリクエストで作ったそうです。
カラヤンの何種類かある伝記のインタヴューでカラヤン自身が答えている。
「なんでチャイコフスキーの1〜3を録音しなきゃいけないんだ」って感じで答えていたと思います。